この命題にはきっと明確な正解は存在しないだろう。だがしかし、きれいな解答が出ないからと言って考えるのをやめていい題でもない。なので僕がこの2年弱、ポッ拳を初めとする格闘ゲームを本気になってやりこみ、たどり着いた一つの答えを提示したいと思う。上記の通り、それが正しいかどうかはわからないし、僕自身も「こうなんだぜ」と自信を持って言えるわけではない。「今の自分はこう思うんだ」というとても頼りない主張になってしまうが、ご容赦願いたい。
僕はTwitterをよく見るオタクなので、この話題を考えるとき某野球選手の言葉を思い出す。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」
というものだ。この文章を読んでいるようなオタクな諸兄は一度は見たことがあるであろう、この言葉は大変に的を射ている。まずはこの言葉から議論を進めよう。
この言葉における「練習が嘘をつく」場合とはどんなときであろうか。わかりやすさ重視で例を挙げよう。
「プロサッカー選手を目指して、毎日欠かさずバッティングセンターに通っています」
何もしないよりかはマシなのは間違いないが、「プロ」サッカー選手を目指している人間のやることではないのは明白である。
ここまで明後日の方向に行く人は珍しいが、格ゲーの世界においては往々にして起こる話である。次のような話だ。
「勝率を安定させたいから、距離や始動限定の最大コンボを練習してきました」
練習してきた内容が無駄かどうかは議論の余地があるが、少なくとも勝率を安定させるためにすることではないだろう。目的と手段がずれているために求めた結果が得られないのである。
このようなものは努力ではない。(※個人の意見です)
しかし、この練習自体は一概に悪いとは言えない。大会や真剣勝負を想定するのであれば、無根拠な自信よりも根拠のある自信を持って挑むべきだからだ。すでに実績や名声がある人はそれを自信にするのもいいだろうが、世の大半の人間はそうではないのだから、自分の中でこれは譲れないといえるものの存在は大きい。今回でいえば、「あれだけ難しいコンボがトレモでは安定させられたのだから普段のコンボをミスることはない」のような自信が有益であるということだ。
先ほどの例を再掲する。
「勝率を安定させたいから、距離や始動限定の最大コンボを練習してきました」
この発言は認められない。しかし上記の通り、実際にやってきたこと自体は一概に間違いとは言えないのだ
「勝率を安定させたいから、距離や始動限定の最大コンボを練習してきました」
こうであったなら、僕は何も言わないだろう(効率悪いなとは思うかもしれないが)。大事なのは、その努力をすることで何が得られるのかを正確に把握することである。
正直に言うと、これが全編にわたっての結論の一端である。存外に早くたどり着いてしまったが、おそらくこの結論には角度や形を変えて何度も到達するので気にしないこととする。
気づいたらめちゃんこ長い文章になってしまったので分割することにした。次へ続く(‘ω’)